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生誕館へ初参拝(その3)

 投稿者:小哲  投稿日:2018年 6月17日(日)19時45分6秒
  受付でチェックインしたら、12:30から七の日参拝の祈りがあると案内されたが、疲れていたので遠慮し、食堂で昼食。

13時から兄の霊言を拝聴。一言で言えば、京大に入って慢心し、転落したということ。6年間の闘病中には悔しさのためか、八つ当たり的な暴言を吐いたりしていたらしいが、霊言では心境がだいぶ浄化されていた。しっかり反省して穏やかに自分の過去を振り返っていた。霊言収録の2012年現在は、地獄ではなく「学生たちがいる」ような天国にいるらしい。この表現からすると、6次元か。

1993年に41才で亡くなったなど、事実関係をしっかり把握できてよかった。

シャワー室ですっきりし、次いで階段を登って生誕館へ。じっくり祈った。初めは私1人だったので、声を出していたが、途中から人が入ってきたので、心の中での祈りに切り替えた。

生誕館の建物を出ると、旧川島町と吉野川が一望できることに気づいた。映画の冒頭を連想させる。映画はもっと山の上から撮影したそうだが。

事務・宿泊棟に戻り、本を読むなりして静かに過ごした。夕食もおいしかった。帰りもバス停まで歩くつもりだったが、車で送ってもらえるということで、お言葉に甘えることにした。

鴨島バス停を21:15に発車。6/8(金)朝6時過ぎに無事帰京。渋谷付近で目が覚めたので、再びユッコゆかりのマンションを意識。

首都高速3号線が都心環状線に合流する谷町ジャンクション(六本木)は、来たときと同じようにそのまま直進して霞が関で降りるのだろうと予想していた。しかし南東へ曲がったので、1985年夏にユッコが「ザ・ベストテン」生中継でオープンカーに乗って「哀しい予感」を歌った場所を通ることに気づいた。

一ノ橋ジャンクションを東に曲がり、初めてそのゆかりの地へ。といっても、ユッコは浜崎橋ジャンクションから芝公園方面に向かったので、あくまで対抗車線だが。

芝公園出入口で都心環状線を降り、浜松町バスターミナルへ。ほんの一瞬だったが、意外なおまけが付いた。
 

生誕館へ初参拝(その2)

 投稿者:小哲  投稿日:2018年 6月12日(火)21時24分31秒
編集済
  国道192号線を西に戻る。川島門前支部に到着。2階のセミナー室に参拝し、10分ほど祈った。

次の目的地は、川島特別支部。192号線を更に西へ少し進み、JR徳島線を上から跨ぎ、南西へ分岐する細い道を下る。

グーグルマップをチェックしながら、JR線沿いに辿り着くと、そこが阿波川島駅。川島特別支部はその近くのはずだが、どこなのかわからなかった。ちょうど列車が到着したので、生誕館からの送迎車が駅前に止まっていた。運転手にどこか教えてもらい、無事参拝できた。

次いで生家へ。映画の「中道理髪店」そのまんまの建物。「中川」の表札がかかっていた。総裁が去年、「「救世主がこんな貧しい家で育ったんですか」と言われるのが恥ずかしいから、職員しか立ち入らせないようにしている」旨、おっしゃったことがある。確かに、お世辞にも立派な家とは言えない。今は誰も住んでいないという。

それと、生家は個人情報とも言えて微妙なので、書かないほうがいいのかもしれない。しかし、グーグルマップでは「大川隆法 生誕の地」と出てくる。この記述を見つけたときは、びっくりした。

しかし、阿波川島駅一帯は道が狭く、とても大型バスで乗り付けられるものではない。駅前一帯の住民に立ち退いてもらって、土地を買収して、生誕館を建て、道路も整備する・・・なんてのは、住民の抵抗も大きく現実的ではない。県道43号線沿いの山の中腹に建てたのは、賢明な判断だろう。

駅前から裏道の住宅地の坂道を上り、山の上神社のところで43号線に合流。更に上ると、生誕館が見えてきた。日本中から、やがては世界中から巡礼者を受け入れるのにふさわしい威容である。

敷地に入ってすぐ左手の事務・研修・宿泊棟に着いた。12:25。川島バス停に着いたのが朝8時過ぎなのに、こんな時間になってしまった。
 

生誕館へ初参拝(その1)

 投稿者:小哲  投稿日:2018年 6月10日(日)20時00分15秒
編集済
  >生誕館に行ったことがないのに、ここまで「聖地」巡りをしているのも我ながら呆れてしまう。

これでずっと罪悪感みたいなものを感じていたし、「されば青春、されど青春。」を見て、やはり1度は巡礼しておくべきという思いが高まっていた。それに、総裁兄についても関心が湧いて「高等遊民への誘惑」を書いたこともあり、兄の霊言を拝聴しておきたかった。

飛行機や新幹線では高いので、バスで調べていたら、京浜急行バスで片道7000円で行けることがわかった。しかも、徳島駅あたりで終着ではなく、川島まで行くという。まさに巡礼のためにあるようなバス。

総裁が若かった頃は四国と本州を行き来するには、船か飛行機を入れる必要があった。だが、1988/4に瀬戸大橋が開通して、鉄道や自動車でも行けるようになった。更に、神戸淡路鳴門自動車道が1998/4に全通したことで、淡路島を経由して車で行けるようになった。これは安く徳島県に行くルートとして、非常に具合がいい。バスが元々安いのに加え、鉄道だと岡山まで行く必要があるし、四国上陸は香川県で、かなり遠回りになるからだ。

浜松町バスターミナルから乗ることにしたが、バスタ新宿を見慣れていたので、老朽化した設備が気になった。しかも狭くてキャパが少ない。増便など無理だろう。道理で1度も来たことがないわけだ。改築・増築も無理だろうから、老朽化でいずれ取り壊しとなって、バスタ新宿あたりに集約されるのではないだろうか。

霞ヶ関から首都高速に入ったので、ユッコゆかりのマンションのそばを通ることを思い出した。去年7月以来。

それと、ユッコのお墓・成満寺近くの東名阪自動車道を通らないだろうかと事前に地図を調べた。東名阪自動車道も確かに名神高速よりは近道なのだが、伊勢湾岸自動車道のほうがもっと近道なのは地図を一目見てわかった。しかも、新東名から直結しているし。残念だった。実際、木曽川・揖斐川の間の湾岸長島パーキングエリアで運転休憩していた。乗客は降りない休憩。カーテンで外は一切見えず、電灯も点けられず暗いままだったが、バスが停止していたので、グーグルマップでチェックしてわかった。

川島バス停は国道192号線沿い。かつ、吉野川土手沿い。地図を見て、阿波川島駅・川島特別支部・生家・生誕館、そして、鴨島の位置関係を把握し、歩いて動き回ることにした。ただし、何キロも歩くことになるので、私の旅程をそのまままねるのはお勧めしない。生誕館にお願いしておけば、ちゃんとバス停まで車で迎えに来てくれる。もっとも、生誕館へは、川島の1つ手前の鴨島のほうが近い。

6/7(木)朝8時過ぎ。定刻から約40分遅れて川島バス停に着いた。単に「川島」と言うと、JR阿波川島駅と誤解されやすいので、「バス停」ときちんと明示したほうがいいだろう。川島こども園という、田舎にしては立派な建物の前。幼稚園兼保育園だという。後で知ったことだが、総裁が通った川島中学校はそのすぐそば。そこにも巡礼したいのなら、ここで降りるのが便利だ。

単に「川島中学校」と書いたが、現在では「吉野川市立川島中学校」と書かないと誤解を招きやすい。徳島県立川島中学校・高校もあるからだ。中高一貫校。1880年に旧制中学として設立され、総裁が学生だった頃には高校しかなかった。2006/4に(新制)中学校が設置された。

しかも、県立川島中学(・高校)は、国道192号線から生誕館へ通じる県道43号線のそばにあって、紛らわしい。「川島中学」という表示を見つけて、「あ、ここが総裁が通われた中学校ですね」などと感動しないようにしたい。

そしてもちろん、総裁の通った中学も、その当時は「川島町立川島中学校」である。2004/10の3町1村合併で、吉野川市立になった。

さて、川島バス停からまずは東の鴨島まで歩く。鴨島は比較的賑わっていて、飲食店が揃っているからだ。当初はジョイフル吉野川店に行くつもりだった。24時間営業だし。でも、バスが遅れたし、川島まで行ってしまったので、8時営業開始のガスト徳島鴨島店にした。こちらのほうが192号線沿いにあって、歩く距離が少なくて済む。ジョイフルは192号線とJR鴨島駅の間にある。しかも現金しか使えないし。

ジョイフルは東京圏では店舗が少なく、1度も利用したことがない。創業家で元社長の穴見陽一氏は信者であることを事実上公開している。なので、応援の意味でも寄ってみたかったが。

自民党の衆院議員を務めていて、現在3期目。幸福実現党でないのが何とも複雑な気分。でも、実現党立党の2009年よりも前に、「政界を目指しているファミレス社長信者」の話を支部で非公開情報として聞いたことがある。その夢を実現したということで、祝福すべきなのだろう。

ちなみに、鴨島にはラ・ムー鴨島店があることにも気づいた。信者なら誰でも知っている信者企業。信者が知っているというだけではなく、「大黒天物産」という社名や「ラ・ムー」「ディオ」(イタリア語で「神」)という店舗名も、信仰告白を意図したもの。映画に協賛したが、その後倒産した企業もある中、本当に心強い。

上では書かなかった川島門前支部が、国道192号線から県道43号線が分岐する交差点の角にあることに気づいて、後で参拝することにした。鴨島バス停(徳島バス鴨島営業所)の前を通り過ぎ、ようやくガスト徳島鴨島店に着いた。モーニングセットを食べて、ゆっくり寛いだ。すかいらーくグループでは無料Wifiが整備されたので、ニュースサイトを読むなどの日課も済ませた。
 

高等遊民への誘惑

 投稿者:小哲  投稿日:2018年 5月26日(土)23時28分35秒
編集済
  小さい頃、お手伝いをして両親に誉められた。たとえ虐待されながら育った子でも、そんな経験はあるはずだ。自分という存在が肯定されて心地よいし、愛されていることも実感できる。それが心の糧となって成長につながるのは事実である。

ある程度大きくなると、誉められる材料は勉強・学校の成績になる。成績で誉められなくなる子も出てくるが、自分の存在そのものを肯定してくれる親がいる子は幸いである。精神的にすくすくと成長していけるだろう。

一方、いい成績を維持できた場合、これはこれでいろいろと問題が出てくる。親が子の存在そのものではなくて成績を誉めているとか、子が成績のよさに慢心し始めるとか。で、怠けて成績が落ちると親から叱られて。その叱り方が人格否定的なこともよくある。

怠けずに勉強し続けたとしても、誉めてほしくてという場合もかなり多い。先生に誉められる・模試の成績上位者に名を連ねて、周囲に羨望・尊敬の眼差しで見られる。

これが快感になってしまい、努力精進するのは賞賛を受けるためという人生観を形成してしまうと、かなり危険である。その人生観は必ず破綻するからだ。かつ、破綻した際に大きなダメージを伴うからだ。

・破綻パターン1
 成績がよかったということで、難関校に進む。ところが周りも優秀な人ばかりなので、あっという間に凡人か劣等生になってしまう。誉めてもらえなくなる。このギャップに耐えられず、鬱になる。自殺するということもよくある。

・破綻パターン2
 成績優秀でなくなったことは諦めがついたとしても、実社会に出ると、また落とし穴がある。
 学校では実は答えのあることばかりをやっている。しかし、実社会ではどう答えを出せばよいか一定のやり方がない、そもそも答えが存在するのかどうかも定かでない。
 「さらば青春、されど青春。」にも出てきたが、法学の憲法であれば、初めのほうの成立過程などは試験に出ない。試験に出るのはもっと後の判例など。
 というわけで、どこが試験に出るかを押さえて「要領よく」勉強すると、確かに試験ではいい成績が取れる。教科書を最初から丹念に読むなんてのは愚かの極みのようにさえ見える。
 ところが、そういう人は実社会に出るとあまり出世しない。上司に仕える分にはいい部下として活躍することができるが、上に行けば行くほど答えのない世界になっているからだ。
 社長の経営判断などはその最たるもの。何にどれだけ投資するか・具体案は部下に作らせるとしても、そのための部署(経営企画部)に誰を配置するか。など、どれにも絶対的な正解がない。なので、知力を振り絞って人・物・金の最適案を紡ぎ出していかねばならない。これは、最短距離で答えを出すことしかしてこなかった人には難しいことである。

・破綻パターン3
 大学でもいい成績が取れて、学問に溺れる。学者はよく「学者バカ」「専門バカ」と揶揄される。それは必ずしも学者になれなかった人の妬みではない。
 東大では成績のよかった順に学者・官僚・民間企業社員になるが、収入は民間企業>官僚>学者である。それで、「成績はよかったのに、なぜ収入は多くないのか」と悩んでいる人が少なからずいる。
 でも、学者の収入が少ないのは当然といえば当然である。プロ雀士と雀荘経営者のような関係になっているからだ。雀荘経営者がそんなに麻雀がうまくなくとも、プロ雀士をどう使って雀荘を切盛りするかと考えている点で、一枚上手なのである。
 ジョージ・スタインブレナーがホームランを打てず、豪速球も投げられなくても、ヤンキース選手・監督よりお金持ちなのと同じ。
 つまり、専門性を深めすぎると、人に使われる側に回るしかなくなるということだ。

 それどころか、専門性を深めたことで実用性がなくなることをもって得々とする人が少なからずいる。理学が工学を見下す・研究医が開業医を見下すということは昔からある。京大・哲学科も慢心した人をたくさん出している。

誰もが西田幾多郎になれるわけではない。さすがにそれには気づいて民間企業に入ったはいいが、使い物にならず、周囲の評判が悪い。そういう人を身近に知っている。会話していても、すぐにマニアックな話題に入っていくので、仕事の役に立たないのだ。周囲も「これ以上この会話に付き合っても無駄」と考え、会話をそそくさと打ち切ろうとする。

本人はそれがなぜかわからず、もっとマニアックな話を試み、更に周囲が引いていくという悪循環。「シーズではなくニーズ」。これがキーワード。それと、個人としていくら優秀であっても、30代半ば以降は「人を使って成果を挙げる」方向にマインドを切り替える必要あり。これがわからなくて、50才になってもいまだに「俺はできるんですよ」という自己証明の旅を続けている姿は、哀れですらある。

もっと哀れなのが、総裁の兄。勉強は確かに弟よりできたが、学者にはなれず。なのに、民間企業に進んだ弟を見下した言動もあったという。そして何年も高等遊民を続ける。龍輝さんの演技は、そういう高等遊民・プータローの雰囲気を見事に醸し出している。単なる慢心だが、その気持ちが私には手に取るようにわかる。

といっても、私に他心通の能力があるわけではない。私がそんな心でいて高等遊民になりかけたことがあるからだ。で、フリーター・ニート・ホームレスへまっしぐら寸前だった。もっとも、そのときは気づかなかったが、後で振り返って心底ぞっとしたものだ。

民間企業に入ったものの、周囲にはさんざん迷惑をかけた。仕事ができるようになるまで10年以上かかった。それでも真っ当に立ち直れただけ私は恵まれている。

総裁の兄は初期の霊言収録に協力していたが、だんだん登場しなくなり、何年かして亡くなったらしいという噂が流れた。これが昔からいる信者の長年の認識であった。

亡くなった経緯は近年の法話で明かされつつある。映画にも出てくるが、学習塾経営がうまくいかず、その心労で授業中に倒れたのだ。おそらく脳出血。去年3月に亡くなったS氏と同じだろう。

胃潰瘍のみならず、癌も心因性ということは何度か書いたが、脳出血も心因性と考えていいだろう。これまた手に取るようによくわかる。私自身がそれに近い経験を何度かしているので。激しい怒りとか不満で「頭に血が昇る」。その結果、脳の血管が血圧に耐えきれず破裂する。これが基本的メカニズムのはず。寝過ぎとか居眠りでの頭痛とは違う重苦しい痛みの時期が血管破裂前にあるはず。私はこの段階で気づいて、怒りを鎮めたので、大事には至っていない。

これも映画では描かれていないが、総裁の兄はとある邪教(幸福の科学からすれば)に入っていたという。これまた私と同じ。「修行して超能力を得よ」など、慢心をそそるような教義で、その邪教はとある悪魔が指導しているという。ということは、その悪魔も生前は高等遊民的な慢心を起こしていたということだろう。まさに波長同通だ。

本当に危ないところだった。総裁の兄と違って、なぜ私は助けられたのだろう。よくわからないが、助けられたのは事実である。ここにお礼・お詫びの気持ちを記しておきたい:

危ないところを助けていただき、ありがとうございました。
かつ、これまで数々の無礼・不信心、申し訳ありませんでした。
 

5回目の涙

 投稿者:小哲  投稿日:2018年 5月26日(土)20時54分15秒
編集済
  今日(5/26(土))、また見てきた。5回目。5回も見ることについてはさておき。

名古屋記念館に5/22(火)に初参拝してきた後なので、康豊商事名古屋寮の場面を見て、「ああ、あそこだ」というのがよくわかった。外観・中道が寮母の娘さんと帰ってきた玄関・自室の机・魔と対決した自室のベッド。まさにそのまんま。

CGを使うのは最小限にとどめたということのようだ。井の頭線の旧型車はさすがにCGだろうと思ったら、これも実写。銚子電鉄で「お下がり」として現役稼動中で、そこまでロケに行ったとのこと。

涙した映画・歌というのはこれまでもいくつかある。だが、2回目以降に涙したというのは初めて。ましてや5回とも涙するなんて。

「さすがにもう涙は出ないだろう」と思いつつ見ているのだが、ラストシーンで涙が溢れてくる。我ながら驚いた。

あと何回か見るだろうが、さあどうなるか。

もちろん、ユッコの墓参りもした。8回目。
 

切ない !

 投稿者:小哲  投稿日:2018年 5月12日(土)23時39分47秒
編集済
  今日公開された映画「さらば青春、されど青春。」。最寄りの映画館で小5の娘と初回の上映を見てきた。子どもにはちょっと難しかったようだ。だが、「君のまなざし」ほど怖いシーンがなかったので、また見たいとのこと。

私はというと、この一言に尽きる。

切ない !

情に薄く( ! )理性と論理の塊のようなこの私が涙してしまった。いや、大人ならほとんどがそうではないか。私の母も似た感想を述べていた。

何が切なかったかというと:
・私ももっと勉強しておけばよかった・・・
・先生にも人間的な悩みがいろいろあったのか。それが具体的に出てきている。明かされたのは初めてと思われる箇所もある。
・都会育ちの「才気煥発な女性」(「太陽の法」旧版)。一方的に8通以上手紙を送られたら、女性はどん引きする。坊さん魂のこの私でもそれぐらいはわかる。娘も同意見。女性信者の皆さんもそのはず。 (笑)
・で、その方が実は聖クララだったとは。
・ファッションセンスほとんどゼロのこの私でも、就職面接にあのスーツはあり得ないとわかる。

そういう人間的な挫折を乗り越えて、超人的な実務能力。20代後半でNY本社の財務戦略にきちんと異議を唱える。「ジャパン・アズ・No.1」が想定されていた時代の商社の社長も嘱望されていて。

なのに、全人類のために「全てを捨て」た。額田が講演会に来ていたというのも切ない。

そして、宗教団体・激誠会は今や世界100ヶ国以上に信者がいるはずである。そういうすごい方を私たちは師として戴いている。改めて深く感じ入った。

ややネタバレだが、個々のエピソードは説法で公開済のものがほとんどなので、お許しを。岡田有希子はストーリーに出てこなかったな。
 

33回忌

 投稿者:小哲  投稿日:2018年 4月 9日(月)11時25分18秒
編集済
  四谷4丁目交差点・大木戸ビル前の追悼に行ってきた。今回は植込みの近くに立っていられたので、リーダー格の方のお話がはっきり聞き取れた。ユッコファンにとっては重要な内容と思われるので、ここできちんとまとめておくことにする。

1.リーダー格の方のお話概要
 ・早いもので、33回忌となった。
 ・長年、花束を成満寺へ運ぶことをしてきたが、今回をもって私はそのお役を降りる。
 ・大木戸ビル前にこうして集まることについては、近所から苦情も来ている。
 ・4/8の追悼そのものをやめるかどうかは、もちろん私が決めることではない。皆さん自身で考えていただきたい。
 ・少なくとも、花束などを持ってくるのはやめましょう。誰かが片づけなくちゃいけない。
 ・私もすっかりおじさんになってしまった。生きているといろいろ辛いこともある。今日はユッコの命日であると同時に、生きていることの喜びを噛みしめる日でもありましょう。

2.小哲の解釈による補足
 33回忌で弔い上げになったことはリーダー格の方は言及しなかったが、背景にあるのは間違いないだろう。もっとも、成満寺では(親族が参加しない)ファン向けの法要を来年以降も行うと住職がおっしゃったそうだが。
 花束を佐藤家の墓に供養するのは今後もありかもしれない。ただ、それを責任をもってやる人が現れるならともかく、花束やお菓子が大木戸ビル前に放置される状況は避けたいもの。
 近所からの苦情というのも理解できる。去年と同じくらい・約200人が集まったが、警官やサンミュージックの人が複数来ていて、通行人の迷惑にならないよう歩行路確保をしていたし。
 

墓参り7回目

 投稿者:小哲  投稿日:2018年 1月 3日(水)20時35分44秒
  2018/1/3(水)、5:55。関西本線の始発・亀山行きで永和駅に着いた。まだ真っ暗。昨夜から雪が降ったようで、道が濡れている。しかし、満月がはっきり見えた。そして、強い風。4m/sはある。

踏切を渡った後、道をひたすらまっすぐ進む。セブンイレブン愛西北一色町店でお金を下ろすため。セブン銀行口座を再び作ってあった。

何とも寒い。視界のはるか先に見える山地から吹き下ろしてくる風。ちょうど1年前の今日、こうしてやってきたがこんなには寒くなかった。後で気温を調べたら、4度。

セブンイレブンに着く頃に空が白んで美しい朝日が見えた。引出し手数料が無料になる7時まで店の外で待った。

7:20頃に成満寺到着。いつも通り本堂に寄ってお布施し、正心法語を唱えた。そして墓地に行った。住職を初めて見かけた。ユッコのお墓から1つだけ入口寄りのところにいて、読経していた。終わると法鈴を鳴らしていた。それをおそらく全部のお墓にやっているようだ。

ユッコのお墓にもロウソクと線香が灯されていた。もっとも、ロウソクは強風ですぐに消えてしまったが。

きっと成仏していると思いつつ、正心法語全編と「主への祈り」「守護・指導霊への祈り」「病気平癒祈願」を心の中で唱えて供養した。

「こんにちは」と声をかけられた。私と同年代らしき男性で、関西弁。花束を持っていた。

その男性が祈りを終えた後、ユッコについていろいろ語り合った。話がちゃんと噛み合った。ファンなのは間違いない。正月の朝だから、誰かに会うことなどないだろうと思っていたので、嬉しかった。

8:50頃に成満寺を出て、永和駅を9:40に発車。青春18きっぷ・各駅停車で帰ってきた。ダイヤ乱れも特になく、助かった。
 

無名の菩薩-最後の煩悩を超えて

 投稿者:小哲  投稿日:2017年12月24日(日)16時14分47秒
  幸福の科学は初期には釈迦の教えを前面に出していて、六大煩悩の克服などを大きく打ち出していた。その教えは今でも「仏説・八正道」として出ており、決して引っ込めたわけではない。

だが、世界宗教を目指して世界伝道を進めるにあたり、前面に出す教義では仏教色が薄められた。いや、薄めたというより、「愛の発展段階説」で普遍性を高めたというべきだろう。指導霊にもギリシャ神話で知られるヘルメスを入れたりして。既に世界100ヶ国以上に信者がいるということだが、仏教色が強いままだったら、こうはいかなかっただろう。

とはいえ、煩悩の克服が重要な修行課題であることは変わらない。食欲・性欲・金銭欲・出世欲など、いろいろな欲があってなくすことはできない。無理に抑え込もうとすれば、「即身成仏と称して断食し、ミイラになったが、実は餓鬼地獄に墜ちていた」なんて悲劇になったりする。だから、欲を上手にコントロールすることが大事、と教わっている。

心の修行を通じて、欲が収まってくるわけだが、最後まで残る煩悩が名誉欲。菩薩・如来であってもこの克服は難しく、それで転落した者もいるという。地獄界のNo.1がその1人とされる。

総裁が霊言を再開されて数年。初期の頃と違って、歴史的評価の定まった宗教家・政治家ばかりではなく、存命中の政治家・タレントなどが数多く登場した。

その中には地獄的な考えの人もいたし、地獄的ではなくても悟りがそんなに高いとは思えないような人もいて、霊言の人選は一体どうなっているのか、理解に苦しんだ。いや、結局のところは有名かどうかじゃないかと思えた。「仏陀再誕」で「この世的に、花形と言われるような職業・・・に心をとらわれてはならない」などと書いてあっても、結局はこの世的に有名かどうかで決まるんですね。そう思えて、この数年間苦しんだ。

出世できない・有名になれないのは、精進・努力が足りないから。それはその通り。ただ、信者でない人、信者でないどころか幸福の科学を馬鹿にしているような人も私の周りにたくさんいて、私よりはるかに出世し、高給を食んでいる。それでいて、植福は信者からのみ。ときには「植福しなければ信者も滅ぼすぞ」との脅しとも取れる霊言があったりして、悔しさと理不尽さを感じてきた。

だから、この数年、私は法話拝聴・祈願・書籍「購入」など、対価性のある植福しかしてこなかった。幸福実現党も政策は全面的に支持しているが、党員はやめている。

しかし、そういう思いを切り返す法がはっきり説かれ始めた。まず、佐藤順太の霊言。渡部昇一の恩師。

「知的生活の方法」は私も読んだことがあるが、佐藤順太の名前は全く記憶に残っていなかった。いや、私だけではなく、多くの人がそうだろう。だが、霊格は今上天皇よりも上だという。全く無名なのに。

天皇の本質は、日本神道の最高神官。だから、会社の社長みたいに生前退位するなどとんでもないこと。高天原の神々の総意にも反しているという。

にも関わらず、生前退位が決まってしまった。であれば、天照大神はこれまで以上に怒り狂ってもよさそうなのに、そういう怒りの霊言はないのか。日本神道に直接帰依したつもりはない信者には怒って、今上天皇には怒らないのは結局、この世的な立場を忖度しているだけではないのか。過去世がムハンマドの信者がいてもおかしくないと私は思っているが、それを公言したらイスラム教徒は帰依するどころか殺しに来るだろう。それと同じ判断か。

ところが、今上天皇・昭和天皇の霊格についてもきちんと言及していたので、おやっと思った。そもそもその霊言の質問者が大川咲也加さんなのが意図的な人選である。しかも、最初の質問が「有名でなければ菩薩にはなれないという考えがあるが・・・」というのは唐突な印象。佐藤順太霊をいきなり呼んでのぶっつけ本番ではなく、総裁と佐藤順太霊が事前に「こういう質問をしたいが」と打ち合わせた感じである。

そして、12/7(木)のエル・カンターレ祭「愛を広げる力」で、「無名の菩薩」という言葉が打ち出された。「無名の菩薩、大歓迎」。

地獄界のNo.1だけではなく、当会でもこの有名かどうかといった名誉欲のところで躓いて退転した人が少なからずいる。いや、退転しないまでも、強烈な劣等感に苦しんでいる人も多い。私は他の信者のブログは中身が薄く感じられて基本的に読まないのだが、面白くてためになるあるブログをときどき読みに行っている。

そのブログ主の信者は夫婦揃って読心能力をお持ちで、ある精舎に行ったとき、信者たちと対話しているある職員を一目見て、強烈な劣等感の持ち主であることがわかってしまったという。

「自殺を防止するためには」では学力不振での自殺の対処法も語られているが、学力不振に慣れた生徒はむしろ自殺しなくて、進学校に多いという。それは、小学生の頃は優秀だ・優秀だと誉められてばかりいたのに、優秀な生徒ばかり集めたらあっという間に普通の人か劣等生になってしまう。それが理解できなくて苦しむから、とある。

もちろん、その生徒は、入学できなかった人よりは優秀だし、全国的に見ても優秀なレベルなのだが。

それと同じことが職員や信者にも起きている。当会にいち早く集ってきたような人たちは基本的に優秀。霊格としても神々の1人に位置付けられるだろう。過去世ではちょっと活躍すればすぐに頭角を現せ、賞賛もしてもらえた。

ところが、神々が集っている当会ではなかなか頭角を現せない。進学校でのフツーの人みたいなことになっている。

だけれども。今世の修行課題は実は、最後の煩悩・名誉欲の克服。かつ、皆がそれを達成する大きなチャンスではないだろうか。

総裁は2016/12のエル・カンターレ祭からアルファ意識が前面に出てこられ、「次元上昇」されたという。だが、それは総裁にとどまらず、信者たちもということだろう。最後の煩悩・名誉欲を克服できたなら、地球ユートピア・宇宙ユートピアの実現・維持に大きな力を発揮するはずだから。

そして、「心の指針 157 自信を持つ」。この説法は凡夫向けではなく明らかに信者ないし神々に向けてである。その中で以下の一節が印象に残った:

悟りを得るということは、
有名になることでも、
お金持ちに
なることでもない。
情報人間になる
ということでもない。

私はこれを読んで、恥ずかしさを通り越して笑ってしまった。見事に3つとも誤解していたからだ。

だが、これら一連の法を説いていただいて、迷いが吹っ切れた感じだ。

無名の菩薩。これは私のみならず、多くの人々。いや、多くの神々の迷いを断つ力強いキーワードとなるだろう。
 

ユッコはもう成仏したか?

 投稿者:小哲  投稿日:2017年10月20日(金)20時08分17秒
編集済
  ユッコが今どうなっているかは、ファンならば誰しも気になるだろう。YouTubeでは興味深いことに、「死んだら何もかも終わり」といった唯物論的な書き込みがない。故人のことを本当に慕っていれば、唯物論は自ずから影を潜めるということかもしれない。死んだ後にも、個性を引き継いだ何らかの存在が残る。あるいは、残っていてほしい。それを霊と呼ぶか魂と呼ぶかはともかく。

成満寺住職によれば、ユッコはとっくに成仏したという。だが、幸福の科学信者なら額面通りには受け取れないだろう。自殺者のほとんどは、本来の寿命時期まで天国どころか地獄にさえも行けず、地上をさまようという教義になっているからだ。

ましてや、後追い自殺を引き起こした結果責任もあるので、成仏はそう簡単ではないというのが自然な見解だろう。

成満寺住職の霊視能力やいかにというのは実証的に書けないし、こういう議論から宗教戦争になってもいけないので、深入りはしない。たぶん、きちんと霊視できてのことではないだろう。ユッコの死をウジウジと引きずる、ましてや後追い自殺するなんてことを戒めるための方便と私は理解している。墓参りの後、近くの木曽川に入水自殺した人もいるという。墓ができたのは1987/7だから、ユッコ・シンドロームは一応終息していたはずなのに。「なんでアイドルのために死ななきゃならんの」と遺族に泣きつかれた住職にはたまったものじゃないだろう。

ユッコのことを気にかけた信者は私の前にも相当いるだろう。南原宏治さんはユッコと共演しているし、公に信仰告白している。信者じゃなくて単にビジネス上の付き合いかもしれないが、片岡鶴太郎。「寝起きドッキリ」でユッコのお姉さんと八重洲のホテルに突撃したことがあるが、「The Liberty」の取材に応じたこともある。

南雲吉則先生。「Are You Happy?」の取材に応じたことがある。ナグモクリニックの総院長だが、名古屋院の院長が山口悟先生(ドットーレ山口)。なので、山口先生も、清水富美加さんの事件前から幸福の科学の名前は知っていたのではないか。

「The・伝道」223号では、1990/4に24才で自殺した男性の話が出てくる。ユッコや私と同年代なので感慨深いのだが、2000/8の時点で成仏していたという。幸福の科学での供養のおかげという。

この内容は私はもちろん全面的に信じる。本来の寿命時期まで地上をさまようはずのところを、10年ほどで成仏できた。幸福の科学の供養にはそれだけの力・功徳がある、と。

それだけの力がある供養大祭で2回供養したこともあり、もう成仏したのではないかと思って「小説・あれから30年」という投稿もしたが、私が動いたことで成仏したというのはおこがましいとも思う。墓参りする多くのファンのことは書いたけれども、先輩信者もそれなりに動いているはずだからだ。

だけれども、去年5/15(日)に四谷4丁目交差点に供養に行って、ユッコはあそこにいたのかどうか後で守護霊に聞いてみた。呆れていたのかもしれないが、「これだけは教えてください」と頼んだら、返答があった。耳のほうからではなく、ちゃんと胸のほうから、「いた」。

であれば、その後の私の行動もそれなりに意味があったと言えるだろう。ましてや、清水富美加さんの事件があって、ユッコとの類似性や芸能界の闇が明らかになったのだから。

10/17(火)、6回目の墓参りをしてきた。ルートは今年3月の4回目と同様。ミッドランドスクエア前に到着して直ちに近鉄に乗り、佐古木駅で降りてガストで朝食。県道109号線を北西に進んで成満寺に到着。

ずっと強い雨。いや、午後にはやむどころか晴れる予報だったが、私が墓地にいる間はやむ気配がなかった。

長椅子は濡れているし、墓正面のところは水たまりになっていたので、そばで立ったままかしゃがんだりして正心法語を唱えて供養した。

7月の5回目に寄れなかった名古屋正心館に余裕をもって着き、じっくり祈った。悪霊の邪魔が入りにくい精妙な波動の場所でもあり、思い切って尋ねてみた。「ユッコはもう成仏したでしょうか?」

「ええ」か「はい」か具体的な表現は忘れたが、肯定的な返事が胸のほうから聞こえてきた。守護霊かユッコ本人か指導霊かはわからない。だが、選挙のことなどほっぽり出している不届きな信者に答えてもらえてありがたく、かたじけなく思った。

何度も書いているとおり、ユッコは本来は天使だろう。幸福の科学に帰依して、更に指導霊団に加わってもらえたら、もっとありがたい。

それと、来年5月公開の映画「さらば青春、されど青春。」では、1986/4の名古屋が描かれるはずだ。であれば、そのときの大ニュースである「名古屋出身のアイドル歌手の自殺」もストーリーに組み込まれないかと期待している。もちろん、「岡村由佳」みたいに名前は変えるだろうが。

かつ、岡村由佳の意外な転生が明かされたりして。・・・ちょっと羽目を外したかな。
 

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