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通夜法話せずに読みました

 投稿者:rago  投稿日:2013年 2月 8日(金)16時18分50秒
  和上と言われる人間は、一人の例外もない謗法闡提の輩です。洛都の儒林たちで、邪正の道をわきまえることのできないカルトです。大阪のKしかり、Aしかり、Iしかり。 お宗旨の違う方々に影響されてはなりません。
第一、J・K本人が、ヘタな説教たれ歩いていることを自覚していないのだから…。
 
 

ありがとうございます

 投稿者:花園  投稿日:2011年 4月28日(木)19時29分2秒
  お陰さまでなんとか元気に過ごしています。
先生はお変わりありませんか?

やはりそうですか。
普段はあまり気にもしてなかったんですが、ある時ふと気付きまして。

あの言葉がどういった経緯を経て、これほど普及?したのかはわかりませんが、やはりお浄土へ往生させて頂く事を望んでいるはず(望んでいるはずというのもおかしな話ですが)の浄土真宗の門信徒がつかうべきではないですよね。


弔電・弔辞のひな形…住職に相談してみたいと思います。
ただ、うちの住職は変わり者なので相談にのってくれるかわかりませんが…(苦笑)
 

冥土喫茶

 投稿者:管理人・釋世雄  投稿日:2011年 4月27日(水)11時30分57秒
  これはこれは花園さん、お元気ですか?

冥土は一般には「冥途」とも書き表しますね。
おっしゃるように、冥土は三悪道、とくに地獄のことを指すようです。

冥王星という天体があるように“光のほとんど届かぬ暗い世界”という意味で、そんなところに「福」なんぞあるべくもありません。

弔電の挨拶文など、世間では幅を利かせている用語ですが、「天国で成仏を~」などと同じく、気が付けば一言申しております。・・・むしろそこから浄土とはいかなる世界であるのか、という浄土真宗の根幹部分への導入になります。

門徒の方々は悪気あって「冥土」と言っているわけではない、と思いますので、お寺の方から挨拶・弔電・弔辞のひな形を『寺報』などで提示されてはいかがでしょう?きっと喜ばれると思いますよ。
 

お久しぶりです

 投稿者:花園  投稿日:2011年 4月26日(火)13時18分45秒
  ちょっとした疑問がありまして、書き込ませて頂きました。

人が亡くなられた際に、よく「ご冥福をお祈りします」という言葉を耳にします。
門徒さん方の中にもこの言葉をつかわれる方もいらっしゃるようです。

ですが、この冥福の冥とは、おそらく冥土の事ではないかと思うんですが、確か冥土とは三悪道の事ではなかったかと記憶しています。

僕の勘違いならいいんですが、もしそうだとするなら、この表現はちょっと…と思いましておたずねしました。

先生はこの「ご冥福をお祈りします」という言葉、どう思われますか?
 

みんなの法話

 投稿者:釋行精  投稿日:2011年 3月12日(土)11時51分57秒
  >『本願寺新報』3月10日号・第5面の「みんなの法話」を見てびっくりしておりましたが、「・・・南無阿弥陀仏によって犯罪者も無縁社会も存在しなくなる」、との見解

私も読ませていただきましたが、そのようには読み取れませんでした(笑)

>あくまで主観においての印象です
ということですが、完全に釋世雄様の主観でしょうか?
それとも釋世雄様と同じような考えや主張をもった師や仲間がおられるのでしょうか?
もし師がおられて、その方が書かれた本などございましたらお教えください
 

ありがとうございます

 投稿者:釋行精  投稿日:2011年 3月11日(金)21時19分24秒
  ③については別な方からお答えをいただきました

④いや、彼岸会に御本山に参拝するのです
経段も聴いているだけで良いでしょうか?
 

おこたえ

 投稿者:管理人・釋世雄  投稿日:2011年 3月11日(金)14時41分9秒
  ①あくまで主観においての印象です。「・・・全知全能の奇跡の仏」と実際に言われる方はいないと思いますが、非常に近い感覚で語られる方は多いと思います。

たまたま『本願寺新報』3月10日号・第5面の「みんなの法話」を見てびっくりしておりましたが、「・・・南無阿弥陀仏によって犯罪者も無縁社会も存在しなくなる」、との見解。倫理観・他宗教も全て包含せんとする汎神論的な解釈は浄土真宗としてアリなのか、という強い疑念が私の中には根強いのです。もっと不安なのはかかる解釈に既存の僧侶が何も発言しないという点です。

「後生の一大事」を解決するのが仏教としての浄土真宗の主眼ですから、それ以外のものはそれぞれの倫理観・人生観にお任せすればよいのでは、というのが私の考えであります。

②浄土真宗の味わいとして、OKだと思いますよ。
③具体的な誰か、は承知しませんが、『教行信証』などに出てくる諸経のことを言われているのではないでしょうか。三部経以外にも間接的にであれ、阿弥陀の徳を称える経典は多いですから。

④そうですね、失念しておりました。
無量寿経作法などは、基本的に一般参詣人と同唱されることを前提としておりません。
三奉請なども当方では一緒におつとめしません。このことは一般参詣人を軽視しているものではなく、儀礼という一面を強く意識しているものです。

参拝用の経本とは、三部経・和讃の収録された茶色の『仏事勤行聖典』みないなものですか?それでしたら、短くて節回しのない平易なものですから同唱されてもよいかと思います。でも実際に使われている寺院は少ないと思いますよ。やはり「正信偈」「讃仏偈」辺りかと思います。

このたびの「宗祖讃仰作法」は平易で同唱を意識されてものですが、定着するかは未知数です。
 

(無題)

 投稿者:釋行精  投稿日:2011年 3月10日(木)20時50分49秒
  ①釋世雄様は浄土真宗教を
>阿弥陀如来を全知全能の奇跡の仏のように捉え、癒しと救済を混同した状態をいいます。「阿弥陀さまってあたたかい、阿弥陀さまはいつも一緒だよ、」とかいう輩全般
と説明されていますが
「阿弥陀さまってあたたかい、阿弥陀さまはいつも一緒だよ」ということはご法話でよく聴きますが
「阿弥陀如来を全知全能の奇跡の仏」というのは今まで聴いたこともないですし、本当にそんな風に言う人がおられるのでしょうか?
それとも「阿弥陀さまってあたたかい、阿弥陀さまはいつも一緒だよ」と言うことが「阿弥陀如来を全知全能の奇跡の仏」ととらえているということなのでしょうか?

②ご和讃の件ですが
現代において「阿弥陀仏が教えを説かんがために・・・釈迦となった」ということが言われることがよくありますが
浄土真宗の味わいとしてはそれで合っているということで良いのですよね?

③またこのご和讃は浄土和讃のなかにあり
「諸経のこころによりて」と書かれたあとに出てきております。
なので三部経以外のいずれかに出典があるのではないかと思います
そのあたりのことを良くご存じの方を御存知ないでしょうか?

④以下の質問にまだ答えていただいておりませんので宜しくお願い致します
お寺でお勤めされる無量寿経作法や観無量寿経作法などについて教えてください
参拝させていただく者はどこまで一緒にお勤めさせていただくものなのでしょうか?
三奉請とか途中の念仏などは一緒にお勤めしますか?

参拝用の経本があったように思うのですが、本願寺出版のサイトを見たらもう販売されていませんでした    
 

(無題)

 投稿者:管理人・釈世雄  投稿日:2011年 3月10日(木)15時27分39秒
  >「阿弥陀仏の教えを説かんがために・・・釈迦となった」
ですが、これは浄土教的な解釈です。他流の人がきいたら「何言うとるねん」となります。

このことについては分からなくもないのですが
だとしたら御開山聖人が次のご和賛を書かれた意図は何なのでしょうか?


久遠実成阿弥陀仏
五濁の凡愚をあはれみて
釈迦牟尼仏としめしてぞ
迦耶城には応現する


・・・「五濁の凡愚」の対象を考えてみると、浄土教の所被の機たる「凡夫」のことでしょうから、これも浄土教的味わいになろうかと思います。しかし同じ仏教を標榜する人々の中でも「私は凡愚ではない、聖者として修行している」とする人からすれば違和感を持つ場合もあり得るということだと思います。

・・・ご質問の趣意とズレましたでしょうか・・・ちょっと不安です。
 

無常の克服について

 投稿者:管理人・釈世雄  投稿日:2011年 3月10日(木)15時21分35秒
  ③ 無常・生老病死の克服
・・・そうですね、克服といっても苦悩が消え去るというわけではないので、無常なるがゆえに起こり得る老・病・死の受け止め方が仏法によって変わってくるということでしょうか。この世の無常の克服は、永遠なる浄土へとつながる仏道を歩むことによって「今・ここで」解決されていく、ということでしょうかね。お念仏の人生がそのまま無常観の克服となることでしょう。
 

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