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「ハンバーガー1つ」
ファーストフード店で、前に並んでいたスーツを着た男性が忙しそうに言いました。商品を受け取ると、その人はすぐにパッケージを開け、ハンバーガーを頬ばり始めました。忙しそうなその男性は、ただただ焦るばかりで、その人の口が
「いただきます」
そう動くことはありませんでした。私はその人を見て、おかしいと思いました。そのハンバーガーがどんなに安かったとしても、
「いただきます」
を言うことは当たり前なことだと思ったのです。
「いただきます」
その言葉には、たくさんの感謝がこめられていると思います。もしそのハンバーガーに牛肉が入っていたとしたら、その牛への感謝。感謝すべきものは牛だけではありません。その牛を育てた牧場の人、その牛のえさとなった草、その牛の祖先。更に深く見ていくと、えさとなった草を育てた、大地、水、日光。牛が死んでからも、その牛肉を運ぶ人、調理する人。牛肉1つを取ってみても、感謝すべき人や物は数限りないのです。
「いただきます」
それは、自分のもとへ料理となって届くまでの長い道の中の、沢山の苦労や、生命への感謝の言葉であると思います。私達は食べ物のお陰で生きているので、
「いただきます」
を言うことは当たり前なことなのではないでしょうか。
また、外国には、「いただきます」「ごちそうさま」に価する言葉はありません。食前や食後に決まり文句を言う国もありますが、それは食べ物への感謝を表す言葉ではなく、中には、何も言わずに食べ始め、食べ終わっても何も言わずに席を立つ、という国さえあるのです。「いただきます」、そして、「ごちそうさま」。それは、世界に誇れる、大切な日本の文化なのではないでしょうか。
「いただきます」の言葉は、命を「いただく」というところから来ています。また、「ごちそうさま」は、「馳走」という言葉をていねいにしたものです。「馳走」という言葉には、走り回るなどの意味がありますが、昔、来客をもてなすために、馬に乗って遠いところへと食材を届けた人がいて、その人への感謝から「ごちそうさま」の意味になっているそうです。どちらも、そこにある命を尊重した、大切な言葉だと思います。両方共、浄土真宗の教えに基く言葉ですが、その言葉が出来た時から今まで、しっかりと受け継がれてきたということは、それほど大切な言葉だからだと思うのです。今と昔、時代が変わり、料理の内容も変わってきましたが、命を大切にする心は、変わらずに持っておくべきものなのではないでしょうか。
家で食べるご飯が、ふっくらとして美味しい。その美味しさがあるのは、稲を作る人や、米を炊く人の、あたたかな優しさがあるからだと思います。「いただきます」や「ごちそうさま」は、そんな人の優しさへの「ありがとう」でもあるのです。自分が家族のために何か料理をしたときに、
「いただきます」
「ごちそうさま」
そう言ってもらえるだけで、うれしい気持ちになることはありませんか。少し一色をしてそれらの言葉を言うだけで、それは、料理をした人の幸せとなる。そう考えると、たった平仮名6文字の2つの言葉が、魔法の言葉のように思えてきませんか。
よく、外食店に行くと、出された料理を完食せず、残したままレジへと向かう人を見かけます。食べ物を残すと言うことは、その食べ物が料理となって自分の元に届くまでの道に携わった苦労や優しさ、命を、全て捨てることと同じだと思います。食べ物を完食する。それは、命を犠牲にして生きていくものとしての、最低限のマナーだと思います。
私たちは、これから先生きて行く中で、沢山の食べ物を食べることになります。それがどんな時であったとしても、
「いただきます」
「ごちそうさま」
これらの言葉を、絶対に忘れてはいけないと思うのです。私達に受け継がれてきた、魔法の言葉を大切に、そして、そのバトンを、未来へ。ご静聴ありがとうございました。
弁論の文章です☆本番は余り硬くならず、1度も原稿を見ないで堂々と語れました☆良かったら感想をお願いします(^O^)
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